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2014年04月28日

岐阜・粥川谷の掟


中日新聞のコラムです。

ちょっぴり真面目で

ちょっぴり愉快ですね





ぶんや

  

Posted by うな研管理人 at 13:41真面目な報道

2014年04月19日

天然鰻図鑑

天然鰻と一口に言いましても、様々な種類が存在します。
と言っても、学術上の種類ではなく、個体差による呼び名の違いで、ここでは築地市場や鰻料理の世界で用いられる呼び名と、その個体の特徴や生息域などを記すことにします。
ここでは主にニホンウナギについて書きますが、先ずはご参考までに天然物と養殖物の色の違いをご覧ください。

画像は上の1本のみが天然で、下の2本は養殖です。
色が違うことに気づかれたと思いますが、この天然はいわゆる「アオ」と呼ばれる物で、養殖は青みがかった灰色をしています。
※以下の文章や画像は、「うな研」のサイト内から引用したもので構成します。
日本産の天然うなぎの種類は、現在の分類上はニホンウナギとオオウナギの2種類と放流によるヨーロッパウナギが確認されています。
しかし、分類上は一種類のニホンウナギでも捕れる場所や餌によって様々に変化した個体がいます。

昭和初期までは、うなぎ問屋に入荷する天然うなぎは何十種類にも分けられ値段を付けていたそうです。
今では、無くなってしまったその種類や呼び名を、希少とは言えまだ確認できるうちに復活させて、後世へと伝えて行きたいと考えています。


《色による区別》
「アオ」 ☆☆☆~☆☆☆☆☆
「アオ」と言っても昔の「アオ」と言う表現は主に写真のような草色の事です。
現在はほとんど見かけなくなった「備前青江のアオ」は、本などで「黒緑」と紹介されていますが、地元の漁師さんによるとブルー系統のアオだそうです。
古来より備前漁師の間では、アオの上に位置するギラと呼ばれる特上のうなぎがいたらしいのですが、現在は絶滅してしまったと思われます。


「クロ」 ☆~☆☆☆
釣り対象として、最もよく見かけるうなぎかも知れません。
背中が「黒色」のウナギですが、季節や場所によって味覚も大きく変化します。


「カラス」「腹クロ」☆~☆☆☆
ハラクロ天然うなぎ
大半が居着きで、腹側の白色がほとんど目立たないうなぎです。
皮が異常に硬い為に二~三流品とされていました。

しかし、例外として
オカ黒の中でも真冬の寒の時期に、冬眠中の泥の中から掘り起こす「寒の天然」もこの黒に属しますが極上の天然うなぎです。
ウナギの旬は「秋・晩秋」と言われているのは「下りウナギ」の脂がのっている為です。
実を言うと寒の天然うなぎは、その「下りウナギ」よりも評価の高く、この天然うなぎが普通に流通している頃は、鰻の旬は10月下旬の「下りウナギ」にはじまり、泥の中から掘り起こされる「寒の天然うなぎ」が最高とされていました。
ですから「冬」がもっともウナギが美味しい時期とさえ言われていました。

寒の天然鰻 ☆☆☆☆☆


「アカ」 「チャ」 ☆☆~☆☆☆
天然うなぎ茶 天然うなぎ黄    
岡山産 流れの速い河川に多く、背が黄赤色のウナギです。


「ゴマ」 ☆と☆☆☆☆
上流域に多く、背が黄色と茶色系で胡麻を振ったように黒い点があるウナギで三流以下(四等品)とされていたそうです。 しかし、この上流域に棲む皮の異常に硬く脂が無い物の他に、河口から海で捕れるゴマウナギは最高級とされていたそうです。
また、松井魁先生は「オオウナギの幼魚」ではないのかと書かれていますので、ひと口に「ゴマ」と言っても何種類かのウナギがいたようです。  
天然うなぎホクロ

写真のウナギはゴマの模様が出ていますがゴマウナギではないです。「ホクロ」と呼ばれていますが、ホクロは無視して他の特徴を優先させて選別されました。
上流に住む方のゴマウナギはもっと腹が黄色くゴマの模様もハッキリと現れています。
オオウナギの幼魚でもありません。              

「シロ」☆☆☆~☆☆☆☆☆
砂質のせいだと言われています。色の薄いアオ系でグレーがかったうなぎだと考えております。
<シロ?> 「アルビノ」の白や黄色とは別だそうです。


「ホシ」「カスリ」 ☆☆☆☆ 
天然うなぎカスリ
主に九州「柳川」」にいた、緑の背中に星のように斑紋が浮き出ていたそうですが、柳川地方ではすでに絶滅したようです。 
画像では判りにくいのですがカスリは粟粒ぐらいの白い模様が一面にあります。


<ホシ>
昨年捕獲された幻と言っても過言ではないホシです。それも3匹、恐らく生息環境でこのような模様がでるものとおもわれます。
獲れたのは西日本の汽水域です。


「サジ」 ☆☆☆ 
<天然うなぎサジ>
岡山産 腹の白や黄色の部分の境目がはっきりと区切られたウナギです「クロ」に多いのですが、アオにも見られます。


「スジ」 ★★★~★★★★
天然うなぎスジ
岡山産 「サジ」の中で境目の所にくっきりと黄色い線が入ったウナギで、季節により脂ののり方でこの黄色が消えたり現れたりすると考えられていますが、会員の感想として、あまり脂と黄色は関係が無いように感じます。

「ギン」「クダリ」 ☆☆~☆☆☆☆
天然うなぎクダリ
銀色や銅色の金属色のウナギは「ギン」とも呼ばれ下りウナギの別名です。 
産卵する前の「銀化」の特徴が顕著に現れ、腹の部分が金属色の綸子模様があります。
また胸鰭は黒色となるため、居付きの大型のウナギとは簡単に区別できます。 
大型の物は皮は硬いですが、脂が乗っていて臭みが無く人気が高いウナギです。
一部の地域では一年中綸子模様のあるうなぎが釣れますので、胸鰭と併せて判別した方が良さそうです。


《形による区別》 
「クチボソ」「トビ」 ☆☆☆☆
頭が小さい「狭頭形」でその中でも特に口が小さく、肥満度が高いウナギです。
柔らかいエサを豊富に摂取できる環境で育ったうなぎと考えています。
昔(平成初期まで)は全国各地で捕れましたが、環境の悪化で激減し、滅多に釣れなくなりました。
一部の地域では多く混じることもありますが、ここでは紹介しません。
<真ん中がクチボソです>※因みに左から順に九州・東北・近畿です。 下の画像は肝の色の比較、並び順は左と同じ。 食性の違いが肝の色にも現れています。 クチボソはメタボ気味ですね。



「トビ」とは、もともと養鰻の成育優良の物を示す呼び方ですが、いつのまにか天然にも使われるようになりました。
確認できた「トビ」は全て「クチボソ」でしたので同じかもしれません。
また、「アオ」の中で「とびきり良い物」=「トビ」という説が正しいかもしれません。
ですのでその場合い、「アオ」の最上級に位置します。


「カニクイ」×
天然うなぎカニクイ
下側が「カニクイ」です下側が「カニクイ」です

「クチボソ」「トビ」と正反対のウナギで頭が異常に大きく脂がまったく無く成長不良のウナギです。
こればかりは市場で値がつかなかったウナギです。
(方言で、オオウナギの事や単なる「広頭形」のウナギを言う所も多いので注意してください)

《生息場所などによる区別》

ウミウナギ(海うなぎ) ☆☆☆☆
一年中、海水に居るうなぎです。
うなぎの色は保護色となっているので、捕れた場所によって大きく変わるのですが、この海ウナギ特有のエメラルドグリーン系や瑠璃色に近い宝石に似た輝きは、数時間で無くなる為に、自宅に持ち帰った段階ではすでに変色してますので判断はできません。  

捕れて数時間後には色は下の画像のように黒ずんでしまいます。
*捕れた直後は腹は真っ白でした。 数日養生すると薄い緑になります。


オキアガリ(沖あがり) ☆☆☆☆
主に秋~冬は水温の高い海水で餌を食べ、梅雨頃に川へと移動するウナギの事です。
梅雨以降の下流域では、このオキアガリとイツキとが同じ場所で同時に釣れますが、まったく違った味です。
画像はありません。<(_ _)>
逆の大雨の後や梅雨の時期に湾内などで川のウナギがよく捕れますが、これらのウナギは「川のウナギだ」ぐらいでしか呼ばれず「オキアガリ」のような呼び名のない事を考えると、昔から「美味しいウナギ」として認知されていたのでしょう。

イツキ・ジツキ(居付き・地付き) ★~★★★
何年もその場所に居付いたうなぎは大型となります。
皮は硬いですが、環境の良い場所で育ったうなぎの身の質は上質です。


カワウナギ(川うなぎ) ☆☆~☆☆☆☆
上流域や清流で釣れるうなぎは、うなぎの語源「ムナギ」(胸黄)とも呼ばれている通り、腹は黄色くなります。
淡水域特有の香りがあり、通には好まれます。
貴重な黄金うなぎと呼ばれるうなぎ


《変わり種ウナギ》
白子(アルビノ) 
天然うなぎアルビノ
眼が赤いのが白子の特徴ですが、なぜか確認できたものはすべて、尾鰭の黒い色素が残っています


白変種
天然うなぎ白変種
これは、一見アルビノのようですが、目が黒ですので、突然変異の白変種ということになります。


パンダ?
天然うなぎパンダ
白子同様に天然界では外敵に一番先に狙われますので、なかなか釣れる事はありません。


トラ?
天然うなぎトラ
オオウナギの模様かと思いましたが普通の日本ウナギでした


《その他の種類(アンギラジャポニカ以外》
「タッシー」 ☆☆~☆☆☆☆

上の画像は2004年の6月に日本海某所においてトモエ兄が釣り上げた107センチです。
この1年前にやはり私がこれよりも大きいのを釣り上げているのですが、スカリを伸ばされて脱走され、画像はありません。
巨大さもさることながら、クチボソとは対極にある発達した頭部や胸鰭の位置も普通の鰻とは明らかに違います。
現時点でこいつらの正体が未だに解らないため、<その他の種類>に分類しました。
今後新たなことが判明すれば順次加筆修正していきたいと思います。


オオウナギ ×~☆☆
ニホンウナギではなくオオウナギです(学名・アンギーラ・マルモラータ)
斑紋が出ていますので、大きくなれば区別がしやすいです。 味は小型(60cm前後までとの説あり)のうちはわりと美味しく食べられます。
方言では「ゴマウナギ」「カニクイ」などと呼ばれていますが、ジャポニカにも同じ呼称があり、混同されることがよくあります。
画像はぱらまたが2006年に奄美大島において、真昼間から人前を悠々と泳ぐオオウナギを発見!夜に置きバリを仕掛けて釣りあげました。


ヨーロッパうなぎ ☆☆☆
(学名・アンギーラ・アンギーラ)
尾鰭の黒色輪郭の有無で、簡単に見分けることが出来ます。
ヨーロッパうなぎは一時期(十年以上の昔)、稚魚(シラスウナギ)が輸入され各地へと放流されたため、まれに大型の居付きうなぎとして釣れることがあります。
ジャポニカとの一番の違いは、尾びれの輪郭でしょう。
ヨーロッパうなぎには黒色の輪郭がありません。
近年は絶滅危機種として、ワシントン条約で輸出(入)が禁止されたため、今後日本で見かけることは無くなるでしょう。
しかし2008年にヨーロッパうなぎ?と思われる若魚が、和歌山県にて釣り上げられました。

ヨーロッパうなぎの自然回帰か?と沸き立ちましたが、DNA鑑定までしておらず、色素変異かどうかわかっていません。
下の画像は2003年にぱらまたが日本海側で釣り上げたもので、専門家によって「完璧なヨーロッパ」とお墨付きをいただきました。



















  

Posted by うな研管理人 at 22:27うなぎ雑学

2014年04月08日

思考停止はやめようよ。

もはや国民食とは言えなくなったうなぎ。
夏にうなぎを食べることを推奨したのは確か平賀源内だったか。

スタミナ、夏バテ予防、まるでウソとは言わないがあれはただの商戦文句です。
夏を乗り切るための栄養素は他の食物で十分間に合うし、無理して絶滅危惧種を食べる必要はない。

うなぎがどうしても食べたい。大好物だ!!
そんな方は是非贔屓の老舗うなぎ屋で旨いうなぎを食べていただきたい。

だが企業の儲け商戦に乗るだけの、思考停止は止めてほしいと切に願います。


そもそも天然資源に頼らざるを得ないうなぎは薄利多売商品には不向きなのです。


しかし企業はそんなことお構いなしです。
責任も取りません(責任なんて誰にも取れないですけどね)。
儲けだけが生命線である彼らは、儲けがなくなれば違う商品にシフトするだけです。



今朝コンビニに行ったらレジのところに”春の土用の丑フェアー”予約受付中のビラが。
このご時世、まだそこまでやるかー!!

膠着在庫を減らそうとするのは企業として当然の流れかもしれない、でも消費者として踊らされないよう注意が必要だ。
そのフェアーのうなぎ蒲焼弁当価格を改めてよく考えて欲しい。


所詮コンビニ弁当の延長でしかないものがあの価格である。
老舗うなぎ屋に行っても倍はしない。数百円しか違わない店もたくさんある。


割き立て焼き立てご飯も炊きたてが基本のうなぎ屋。
どうせなら専門店で食べませんか。


うなぼうず記  

Posted by うな研管理人 at 18:37コラム

2014年04月08日

悪そうやな〜


 こわいぞ・・・ (^。^)



ぶんや


  

Posted by うな研管理人 at 09:20ウナギ何でも写真館

2014年04月08日


ウナギ激減に無自覚な加害者・日本人


2012年08月22日と古いのですが、

ウェッジに

漁業 「環境の変化」という魔法の呪文

ウナギ激減に無自覚な加害者・日本人
〜あたかも被害者であるような誤解〜



というコラムがあります。

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2152?page=1

日本のウナギ問題を考えるうえでベースとして知っておいた方がいい、本質的なことが書いてあります。


著者は、マルハニチロ水産の海外買い付け担当だという片野歩さん。

著書の『魚はどこに消えた?』(ウェッジ)を、ボクも持っています。



ウナギのことは少ししか出てきませんが、

世界の水産立国の中で、いかに日本の水産資源保護策(水産行政)が遅れているか、とてもよく分かる内容です。お勧めですよ。



以下にコラムの一部を抜粋します。

ぶんや

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ウナギは幻の魚となってしまうのか

 土用の丑の日を前後して、今年もウナギが話題に上りました。稚魚の価格が1キロ200万円(!)を超えて暴騰、ウナギの高騰で苦労する専門店、マダガスカルやインドネシア等からの新たな輸入先の発掘……。「ウナギの稚魚不漁」で消費者を含めて多くの人々が影響を受け、次はどこから輸入するのかとい うことに期待が集まるような報道となりました。

 このままでは、来年以降はさらに稚魚の数が減り、ウナギは幻の魚となっていくことでしょう。稚魚が減った最大の理由は環境の変化等ではなく、乱獲が主因です。それがあたかも、環境変化にも原因があったのではないかと「魔法の呪文」を唱えることで原因が曖昧にされてしまい、加害者である我々日本人があたかも被害者であるかのような、大きな誤解を与えることになってしまっているのです。

 EUは、ウナギの資源減少を懸念して2007年に輸出規制を行い、米国も規制の準備に入っているといわれています。「ウナギ取引、米が規制検討、 対象拡大なら日本に影響」という記事を見て、それなら規制される前に「ウナギを食べておこう」とするような考えがあるとしたら、それは如何なものかと思います。なぜ規制がかかるのか、真剣に考えていただきたいところです。

 欧米が規制をかける理由は、資源保護・持続性に関する考え以外の何ものでもありません。EUのウナギ資源は、規制実施後もまだ回復の兆しが出ていません。あまりに乱獲が進んでしまうと、資源の回復までに10年単位のスパンで長い年月がかかってしまうのです。それでも、将来のことを考えて規制を実施する国々と、問題を先送りして何の判断も下さない国とでは、結果の違いは言うまでもありません。

EUの資源管理の想いは伝わらず

 日本のウナギ養殖に年間で必要な稚魚は20トンといわれています。国内での水揚げは、ピークの1963年には約230トン獲れていたものが、今では10トンを割ってしまっています。足りない分は、輸入となりますが、密漁や密輸が横行するとされる稚魚の輸入は、大半が香港経由で、本当の出荷元はわからないケースが多いそうです。

 EUのマリア・ダナマキ海事・漁業大臣が7月に来日し、日本政府と水産基本政策、水産資源の国際的管理、違反漁業対策等について意見交換を行い、 国際資源管理の推進と違反漁業対策の強化に向けた日本・EU間の協力を盛り込んだIUU(違法・無報告・無規制)漁業問題への取り組みに関する共同声明に署名しています。本来であればウナギの稚魚などは、真っ先に具体的な魚種として話題になってもよさそうです。

 しかし、「中国で養殖されているウナギにEUからの密輸の稚魚が入っていないのか?」「その親ウナギを日本は輸入していないのか?」といったことは話題にならず。世界各国で新たなウナギを探し回る勇姿の姿が報道されているのを見ると、EU側の資源管理にかかわる主旨とその想いは伝わっていないな、 とつくづく考えさせられてしまいます。

 EUは2010年から、輸入の際に正当に漁獲されたものであることを、漁船の旗国が証明する「漁獲証明書」を要求しています。資源管理がされていないような水産物は、輸入できなくなり、市場から弾き飛ばされるのです。

 日本でも一部の魚種(メロ等)で漁獲証明が必要になってきていますが、これは例外に過ぎません。本来であれば、来年3月に開かれるワシントン条約 の対象にウナギ(ただし、これはアメリカウナギという品種で、日本で漁獲されるものと異なる)が浮上する前に、日本も正規ルートであることが証明されない 場合は、そのウナギ輸入の是非を考えるべきなのです。

ウナギ最大消費国・日本の責任

 今後は、まだ規制の緩いアフリカや東南アジア等の国々に、稚魚の漁が集中してしまうことでしょう。価格が高騰すればするほど、漁業者の数は増え、 漁獲圧力が増して、悪循環に陥っていくのです。背後にあるのは、最大消費国の日本です。米国やEUでは、資源管理ができていない水産物は、量販店やレストランで自主的に販売されなくなります。

 一方で、日本は、絶滅するまで売り続け「うなぎが減った、消えた」と大騒ぎするのです。EUの海事・漁業大臣が力説していたIUU排除に関して も、売り場で話題になるようなことは、ほとんどないのです。本来であれば、消費者に食べている魚の資源状態がわかるシステムがあることが望ましいでしょう。





  

Posted by うな研管理人 at 08:49真面目な報道

2014年04月07日

りんず模様


ボクは中流のウナギ釣り師ですので、目にする機会が少ないのですが

銀化した下りウナギは、体側の紋様が目立つようですね。

織物の「綸子(りんず)」に似ているので

「綸子模様」と呼ばれています。

以下の5枚は「うな輪」のホームページから拝借した写真です。















銀化していないウナギでも

大型になると綸子模様が目立つようになります。

これはボクが中流で釣った80センチ半ばのウナギです。



このブログのトップタイトルの写真は、これを切り抜いて使いました。

ぶんや


  

Posted by うな研管理人 at 11:19うなぎ雑学

2014年04月06日

蒲焼きの歴史

日本人が鰻を食べ始めた歴史は新石器時代の古墳などから出土する多くの水産生物の骨の中に、鰻の骨も出土する事から先史時代より食べられていたことと想像できます。
鰻が記録として登場するのは、「風土記」(713)に初めて書かれ次いで「万葉集」(759)にも歌われていますが、調理法などは記されていません。
蒲焼と言う言葉は「鈴鹿家記」(1399)から登場するのですが、現在の調理法とはまったく違うものでした。現在の調理法に変わったと思われるのは江戸時代中期以降の1750年前後だと推測されます。
古式蒲焼


*それ以前の食べ方は、鰻をぶつ切りにしたり、小さめのウナギを丸のまま串を打ち、それを焼いて味噌や酢をつけて食べていました。
《「東海道名所記」(1661)の鰻島が原(現在の沼津市原)の挿絵に大皿に盛った串刺しの鰻が描かれています》 
上の画像は上から、醤油、味噌、塩の味付けで焼きました。
塩焼き、味噌焼きは現在の蒲焼とは違う味ですがどちらも美味しく調理する事ができました。  しかし、一番上の醤油の掛け焼きだけは、ウナギからにじみ出る脂で、何度醤油を掛けても皮に弾かれて味がしみ込まずに、美味しいと表現できる料理ではありませんでした。


現在の蒲焼の誕生には「醤油」と「味醂」「酒」「砂糖」などの甘み調味料の普及と同時に、ウナギを生きたまま裂くという技術が先行しなくては完成されなかったと推測されます。

古代製法からの変換
次に鰻を現在のように割いて骨を取り、串を打つようになりましたが味付けはまだ味噌や酢が主流でした。
《林鴻作著「産毛」(1700頃)の京都四条河原の夕涼みの絵に、露天の鰻売りが描かれ行燈には「鰻さきうり」「同かばやき」と描かれています》  

その後、千葉県の野田、銚子で造られる関東醤油(濃い口醤油)の普及に合わせて醤油の味の蒲焼が登場しました。
《山岡元隣著「増補食物和歌本草」(1723)に、やきうなぎは山椒みそよし醤油にて、、、、と記されています》 
現在のタレのような味は「万宝料理秘密箱」(1800)に酒と醤油を使うことが記されていますが、
それより前の「料理網目調味抄」(1728)に、「一度焼てあつき酒を数編かくれば油とれ皮もやはらきてよし又焼時酒醤数事付焼へし」とあり、これもあまりはっきりとしませんが、おそらく現在の味にちかかったかもしれません。
*現在の「うなぎのタレ」は、鰻屋によって味付けは違いますが、基本は「醤油と味醂」です。 

この当時の「酒」は現在の清酒とは違い、糖度の高い精製されていない酒も飲んでいましたので「醤油と酒」と書かれていても、現在とほとんど変わらない味であったと思います。

江戸でも1800年頃までは関東風と関西風が混在して売られていたようですが、それ以降は関東風だけが着実に進歩し江戸っ子の食文化の代表として定着し江戸での関西風の蒲焼はだんだん姿を消していきました。 

江戸の四大食「鰻の蒲焼」「天ぷら」「そば」「にぎり寿司」は、醤油の庶民への普及が誕生の要因なのですが
「蒲焼のタレ」「天つゆ」「そばつゆ」の成分は基本的にすべて同じで「醤油」と「味醂」又は「糖度の高いお酒」です。 

外食の誕生
明暦3年(1657年)江戸の大半を焼失するに至った大火災「振袖火事」は、火災後の復興に全国からおびただしい数の労働者を集め、またそれを期に、その労働者の胃袋をみたすために、沢山の簡単な食べ物屋ができました。 
これが江戸での外食の始まりとも言われています。

中期の元禄(1688~1704)まで江戸の料理は室町時代の武家料理とあまり変化する事無く続いていたそうです。 
元禄頃は商業の中心が大阪から江戸に移り、日本全国の大名が参勤交代の時に一緒に連れてきた町民(数万人単位の料理人、職人、その他に漁師までも)がそのまま定住するものも多く、それら庶民の暮らしにもゆとりができ始めました。

元禄以後は、いままで上層の一部の人しか食べられなかった料理ではなく、一般大衆の中から生まれた新しい発想の庶民料理が次々と登場しました。


[江戸名所図絵  川崎 奈良茶飯]

華やかな元禄文化の後、すぐにあの「暴れん坊将軍」でおなじみの徳川吉宗がおこなった「享保の改革」(1716)のなかの「倹約令」(1724)によって庶民の暮らしも厳しく規制され、せっかく華を咲かせようとした料理の文化は足踏みをしたまま次の倹約令(寛政の改革1787~1794)の終わる頃まで抑圧されました。
そんな中、明和(1764~1771)の頃、江戸に初めて料理茶屋(現代の高級料亭)が現れ別名「留守居茶屋」と呼ばれ江戸に居る各藩の留守居役(現代の外交官)が自分の藩の公金を惜しげもなく使っていたそうです。


うなぎ屋の誕生
次の大御所時代と呼ばれる文化、文政(1804~1830)の頃になると度々起こった飢饉もなく、いままで押さえつけられ蓄積されていた料理文化がいっせいに華をさかせました。
《江戸の三大飢饉、享保の大飢饉(1732) 天明の大飢饉(1782~1787) 天保の大飢饉(1833~1837)》
文化、文政の頃には高級な料理茶屋で出される武家料理から変化していった現在の懐石料理と大衆の専門店で出される うなぎ、天ぷら、にぎり寿司などの庶民料理がそれぞれ流行し、(肉料理とふぐ料理をのぞく)現代の和食が完成されましました。 

江戸時代の前期は建築や土木に、中期は服装や装飾、芸術に、そして末期は料理に江戸文化の華が咲きましたが、
それでは、うなぎ屋の登場はというと、この中期の元禄頃になると「料理本」や「案内書」などの解説本が次々と出版されたため、その内容や年号から推測する事が比較的簡単にできます。

元禄十三年(1700年)の産毛の話を書きましたが、露店や下の守貞謾稿に書かれているような、鰻売りは元禄の1700年ごろに関西で始まり、その約20年後に江戸でも登場します。
1716~1735年頃出された「江戸名所百人一首」近藤清春筆の深川八幡社の画に、「名物大かばやき」と書かれた行灯のある、床見世(露店のような粗末な店)があり、そこで蒲焼を焼いている人が確認できます。
また、この「大かばやき」とは古代製法の蒲焼と区別する為の江戸の現在風のウナギを裂いた蒲焼の名前です。


日本山海名物図絵 
宝暦四年(1754) 大阪 境港

*上の画は大阪の境港の船の蒲焼売りですが、江戸でも同じように、西村重長筆の「絵本江戸土産」(1756)の両国橋の画で確認できるそうです。
(残念な事に私が確認したのは初販でないためか、細かい部位はボケてて鰻売りの船とは確認できませんでした)

この1750年頃になると深川でも、他の古文書にも登場し、何軒ものうなぎ屋があったと思われますが、まだまだ露店的なお店で、「辻番とおもや、うなぎを焼いている」などと、川柳で歌われるほどの粗末な店造りであったようです。
絵本江戸土産には登場しませんでしたが、明和五年(1769)の「絵本続江戸土産」の神田上水御茶ノ水のページに「森山蒲焼店」が画かれています。

守貞謾稿 天保八年(1837~1853)
関西の鰻売り
国会図書館蔵

*まだ、平屋造りの立派とは言えない、辻番とも言える様な店(画像の許可が下り次第掲載します)ですが、明和と言うと上でも書いたように、料理茶屋(高級料亭)ができた時代ですので、この頃より、うなぎ屋も立派な建物に変わっていきました。

*右の画はそれから半世紀もたった時の森山蒲焼店ですが、二階建ての立派なうなぎ屋に変わっているのがわかります。

実はこの森山蒲焼店は後でまた説明致しますが、うなぎ屋の中でも高級なうなぎ屋に変わって行きましたが、しかし「守貞謾稿」の年代でもわかるように、まだまだ庶民相手の安いうなぎ屋も注目はされませんが、江戸時代が終わるまでは残っていきます。




江戸名所図絵 天保五年(1834)
神田川上水懸樋 お茶の水 森山蒲焼店      

※この記事はうな研サイト内から引用しました。
記事担当 ぱらまた  

Posted by うな研管理人 at 22:48鰻料理やその歴史

2014年04月05日

ウナギ養殖・国内施策の見直し


水産庁 報道発表資料(平成26年4月1日)

http://www.jfa.maff.go.jp/j/press/saibai/140401.html


新たな養鰻場造成等に対する支援の取扱いについて


水産庁は、近年のニホンウナギの稚魚(以下「ウナギ種苗」という。)の不漁等の状況を鑑み、当面の間、ウナギ養殖の生産増大に繋がるような養鰻場の造成等に対する支援を行わないこととします。


1.背景及び目的

近年のニホンウナギの稚魚(以下「ウナギ種苗」という。)の不漁を受け、ウナギ資源管理対策として、国内ではウナギ種苗採捕、親ウナギ漁業及びウナギ養殖業に係る資源管理を三位一体として推進するとともに、東アジア地域においても、日本、中国、台湾、韓国及びフィリピンの5ヶ国・地域で国際的な資源管理の枠組み構築につき協議が行われています。今漁期のウナギ種苗の採捕は近年ではやや良好ですが、長期的に見るとウナギ種苗の採捕量は依然低水準にあり、引き続き、国内外での資源管理を推進する必要があります。
また、国内におけるウナギ種苗の不足から、東南アジアに生息するビカーラ種等、ニホンウナギ以外のウナギ(以下「異種ウナギ」という。)の稚魚を輸入して養殖する動きが活発化しています。しかしながら、異種ウナギは生態に不明な点が多く、特に輸入量が多いビカーラ種は、主な生息地であるフィリピン及びインドネシアが資源保護のため稚魚の輸出を禁止しており、国内での養殖が拡大すれば、資源保護の観点から日本が批判される事態となります。
このような状況と、世界のウナギの最大の消費国としてウナギの資源管理に責任を有する日本の立場を踏まえ、ウナギ養殖の生産増大に繋がるような国内施策については、当面の間、以下のとおり見直すこととします。

2.強い水産業づくり交付金について


① 産地水産業強化支援事業
新たに整備しようとする養鰻施設及び増築・改築・更新しようとする既存養鰻施設(生産量の増大に繋がるものに限る。)に対しては、支援を行わないものとします。
② 水産業強化対策事業
新たに整備しようとする養鰻施設及び増築・改築・更新しようとする既存養鰻施設(生産量の増大に繋がるものに限る。)に対しては、支援を行わないものとします。

3.融資・保証について


① 漁業近代化資金
新たに整備しようとする養鰻施設及び増築・改築・更新しようとする既存養鰻施設(生産量の増大に繋がるものに限る。)並びに異種ウナギの稚魚購入については、融資対象としないものとします。
② 公庫資金
新たに整備しようとする養鰻施設及び増築・改築・更新しようとする既存養鰻施設(生産量の増大に繋がるものに限る。)並びに異種ウナギの稚魚購入については、漁業近代化資金と準ずる扱いとするよう、株式会社日本政策金融公庫等に対し依頼しました。
③ 無保証人型漁業融資促進事業
新たに整備しようとする養鰻施設及び増築・改築・更新しようとする既存養鰻施設(生産量の増大に繋がるものに限る。)並びに異種ウナギの稚魚購入については、支援を行わないものとします。
  

Posted by うな研管理人 at 22:00水産行政の動き

2014年04月05日

「うな研」と「うな研ブログ」


 「うな研」とは、この「うな研ブログ」とは別にある、ウナギ釣りを通したコミュニケーションのサイトです。ネットを活用して全国ウナギ釣り大会を楽しみ、オフ会や日常の付き合いで酒を酌み交わし、また、釣り師としてどのようにウナギ保護を考えていくべきか真面目に話し合っています。ネット上のみの交流ではなく、リアルな付き合いを前提としています。

 ご承知のとおり、ウナギを取り巻く環境は厳しく、資源量が激減しています。趣味のウナギ釣り師と言えども、自主規制の考えや資源保護の考えを持たなければならない時代です。そうした考えを多くの釣り人に持って頂きたいとの想いから、ここに「うな研」の情報発信専用サイトとして「うな研ブログ」を立ち上げました。

 ウナギ釣りをしている者が、ウナギの資源保護について語ることをおかしいと感じる人もおられるでしょう。我々自身、ウナギ釣りを楽しみたい気持ちと資源保護への考えの間で葛藤しています。そのうえで「ウナギがおかれている現状を多くの人に知ってもらうことこそが大切だ」「ウナギ釣りをしている者が発信するからこそ心に響くこともあるはずだ」と考えて、この「うな研ブログ」を立ち上げました。メインの「うな研」サイトには及ばないものの、少しずつ内容を充実させていくつもりです。


 なお、「うな研」サイト(http://www.unaken.info/)は現在、メンバー登録した者しか中を見ることができません。このご時世ですのでウナギ釣りの底辺を広げる活動はしていませんが、うな研の趣旨に賛同していただける人であれば一緒に楽しんでもらいたいと思います。

《こんな仲間を募集しています》

・うな研の趣旨に賛同していただける人
・掲示板に書き込むことが大好きな人
・仲間の和を大切にする人
・人の話に耳を傾ける謙虚な人
・場の空気が読める人
・元気な人
・ウナギの竿釣りが大好きな人 


 入会方法は以下の2通りです。

 ①現正規会員から管理人へ推薦してもらう。
 ②管理人4人(ぱらまた、うなぼうず、ぶんや、施設長)の個人ブログへ入会希望の連絡をする(うな研サイトのログイン前画面からご覧頂けます)。

 たいへん敷居が高くて申し訳ないですが、入会希望のご連絡をいただいた後、本名、年齢、住所、電話番号などを明らかにして頂いた上で、近隣の管理人が直接お会いし、失礼ながらお人柄を確認させていただきます。入会金、会費はありません。


2014年 4月5日 記




  

Posted by うな研管理人 at 15:25うな研とブログについて